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プロフィール
懐かしカメラ


      僕が生まれたのは、瀬戸の能美島。
父と母、兄弟3人の家だった。
家は島なので都会のように立て込んでない。
まわりの環境はのんびりしていて、
家の前は海、魚は豊富。猫が住むには最適な環境だ。
そんな我が家に猫が訪れたのは、
小学校2年の夏だった。

著者本

ミー時代。猫を飼い始めた。

最初に訪れた猫はミー(♀)年齢不詳。白黒の猫であった。
家に迷い込み、人をあまり恐れなかった。そんなミーを、小学校2年の僕と、小学校3年の姉が飼ってほしいと頼みこんだのだった。まもなくしてミーは出産、あっという間に4匹の猫が増えてしまった。(おやおや)

 ドラ(♂):腹回りなど白が混ざったキジトラ猫。
 ペロ(♀):白黒のブチ猫。ペロペロとよくなめた。
 クロ(♀):殆ど黒のブチ猫。腹回りとか顔の一部に白いところがある。
 チビ(♀):黒白のブチ猫。一番体が小さく、弱しかった。

●ドラが大叔父さんに。
1月後、近所に住む大叔父さんが「猫をくれ」とやってきた。いやがる僕と姉だったが、ドラを持っていかれてしまった。わんわん泣いたが、数日後、大叔父さんがドラを返しにきた。

「こいつはションベンするけんいらんわ〜。」って。

帰ってきたドラを手に姉と二人で喜んだのを覚えている。


●死の体験。
数ヶ月後の12月。一番体の弱かったチビが、蚊の息に。コタツの中で横たわるチビ。「元気になれと」水をやったりするも、チビは死んで、硬くなってしまった。初めての死を体験して、僕も姉もわんわん泣いた。

●いなくなる猫。
1年後、クロが怪我を負う。簡単な治療をするも、いなくなってしまう。子供ながらにいろんなところを探す。「猫は死ぬとき、死んだ姿をみせないようにいなくなるんじゃぁ」と親父に教えられ、泣くこともなく、しょげる自分がいた。数年後、ミー、ペロがいなくなる。

※この時点の猫:ドラ(♂)1匹のみ


シロと大黒の時代


●白(♀)迷い込む。
ドラ1匹になってしまった我が家。白い猫、シロ(♀)が我が家に迷いこんできた。シロはちょっとドンくさい猫。完全に人なれしているわけでもなく、人をみたら逃げる。が、ちょっとした石影に隠れるので、上からバサっと捕まえられてしまう。そのドンくささがとっても愛嬌があった。まじりけのない真っ白な猫で、きれいな猫だった。シロは2匹の猫を産んだ。

  ドニ(♀):ドラ2世という意味。キジトラ猫で、人懐っこかった。
  ドサ(♀):ドラ3世という意味。キジトラ猫、クラッシックタビー。
        クラッシックタビーが、アメリカンショートヘアーのような模様で不思議な感じがした。



ドニとドサ、2匹の父親は正式にはわからない。たぶん同じフジ模様をしているドラである。ドラはまもなく、消えてしまったが、当面、シロ、ドニ、ドサの時代が続く。
エサの時は、ドニ&ドサがエサを食べるのをまってシロがエサを食べていた。シロの母親の愛情だった。ドニ&ドサそしてシロ。この猫たちは今までの僕の猫飼い歴史の中で一番可愛かった猫かもしれない。

●ドシ(♀)、ドゴ(♂)そしてペニ(♂)、ペサ(♂)
うちの親父が、「工場に捨てられてたから」って、兄弟の子猫を持って帰った。ペニ(♂)、ペサ(♂)はうちに迷い込んで入ってきた猫。そんな感じで猫が増えていくが、どの猫も数ヶ月で死んだり、いなくなったりした。

  ドシ(♀):白の多い、キジトラブチ猫。目がくりっとして可愛かった。
  ドゴ(♂):白の多い、キジトラブチ猫。体が弱々しかった。
  ペニ(♂):黒白ブチ猫。故ペロに似ているからこの名がついた。数ヶ月後、没。

●最強の猫、大黒(♂)登場!
そうして大黒がうちに迷い込む、大黒は我が家の猫歴史上、一番強かった猫。
ボス猫というのは、人間に可愛がってもらおうと、したたかになでつく。頭がいいのである。この猫は町中を歩き(縄張りが広いということ)、子供を作った。
2軒となりの家には、黒い子猫ばかりいた(あ〜あ)。
朝・晩、うちで飯を食っているから、うちの猫だと確信しているが、もし前の人懐っこさで、他の家でも自分の家の猫だと思われてたらしい。
この猫は縄張りを示す、マーキングもよく行っていた。

  大黒(♂):我が家最強の猫。体も大きく、足の筋肉も張っていた。

※この時点の我が家の猫
  白(♀)、ドニ(♀)、ドサ(♀)、大黒(♂)

●別れ。
中学2年の終わりの春休み。ドサが寝込んだ。医者に連れて行っても何の病気かわからない。こたつの中で寝込んでいて、回復するのを待つのだった。
その時、母親のシロはドサを気遣って看病する。ずっとドサから離れない。ドサをしょっちゅう舐めている。早くよくなれよっていっているようだった。数日後、ドサは回復した。

しかし、シロは代わりにドサの病気をもらってしまった。そしてまもなく死んでしまう。子供ながら、僕と姉はワンワン泣いた。白の母親の愛情が、なんだかとっても可哀そうだった。
硬くなった白は、お墓に埋められたのだった。

そして、不幸はそれだけではなかった。病気はドニに病気がうつったのである。1週間後ドニも死んだ。
硬くなって、死んだ猫から、ノミがぴょんぴょん出てくる。これが死というものだろうか。ワンワン泣きつつも死というものを体験した。

その後、大黒も病気にかかってしまうが、持ち前の体力で死にいたることなく、復帰した。

この時点の我が家の猫は、ドサ(♀)、大黒(♂)。2匹の時代が1年くらい続いたが、1年後には新参ものも家の猫の仲間入りした。

  ペサ(♂):黒白ブチ猫。こちらも故ペロに似ているからこの名がついた。
         数ヶ月後、没。数ヶ月後、没。
  小黒(♂):黒い子猫。よくはしゃぎまわって元気のいい猫だった。多分大黒の子供。
         小さいのに大黒に立ち向かっていったりするが、負けてばかり。
         数ヵ月後行方不明。

●ドサ。
シロが死んで2年後、ドサはどこかに消えていった。自分勝手なドサらしい去り方だった。

●大黒の死。
男の強さで黄金時代を築いた大黒。強かった大黒だけど、怪我をして戻ってくるようになった。ボスを張るには厳しい年になった。医者に連れて行って治療をするのだけど、またケンカをする。男の性なんだろう。やがて、怪我も多くなり、最期はいなくなってしまった。

猫がいっぱいいた時代。

それからの時代、正直猫の数など覚えていない。何故ならいっぱいいたからだ。

●猫たくさん時代。
その後の猫の数は正直覚えていない。
というのも、末っ子の僕が、学生時代、東京へ行き、家を出たからである。
親も寂しくなったのか、文句を言うものもいなくなったのか、猫は増えるばかり。一時期は10匹はいたかもしれない。盆正月に帰ったときには家が、猫の尿のにおいが混じったような、猫くさくてたまらなかった。
名前も”ヨゴレ”とか”キタナ”、”チビ”、”フジ”・・・とか、「まじめに名前つけとんのかぁ」って感じで。ただ、両親にとっては、1匹1匹が可愛かったんだろうな。

●家に戻る。
卒業した僕は家に帰る。当時、とても増えた猫たちを、僕が排除しようと(衛生的によくないので)、する。(半野良でも生きていけるんだから〜!)
ゆえに、自然と猫たちからきらわれた。
親も、たくさんの避妊代・治療代とか払っていたもんだなぁと思う。キャットフード代もばかにならなかった。

 <印象に残った猫のみ>
  ミケMark1(♀):三毛猫は臆病だけど、なついたらとことん、人懐っこくなると初めて知った。
  アカ(♂):茶トラ猫。大柄だけど、弱く、臆病。
        メスと間違えられ他のオスに交尾されかかっていた。
  ミケMark2(♀):ミケMark1の子供。声を出したら物まねをする。
  シロ(♂):強い白猫。だけどケンカが耐えない。治療代は過去最高24万円なり!
  ドシュウ(♂):弱い茶トラブチ猫。白地にアカ模様あり。他の猫によく追っかけまわされていた。
  フジ(♂):弱いキジトラ猫。他の猫によく追っかけまわされていた。

家の中はワヤクチャ!なんとか猫を追い出せねば。


近年の猫たち。

近年の猫たちは、特徴がある猫ばかりだった。

                ◇ブー(♂)
ブーはブサイクな、白黒のブチ猫。さらにどんくさい。子猫の時に我が家に迷い込み、これほどブサイクな猫ははじめてだ。鼻の下に黒い模様がちょこ〜んとあり、全体的な模様のバランスが悪い。
盛りがついてメス猫にアッタックかけるのだけども、弱いので他の猫に追い払われてしまう。
そんなブーが1年間いなくなったことがある。心配もつきてしまって、もうとっくに死んだと思ってたが、1年後に戻ってきた。相変わらずのブサイクな顔がやけに愛くるしかった。
戻ってきたブーは、以前と違って半野良猫になった。エサを食べるときだけ家に帰ってくるようになったのである。

            ◇オカアサン(♀)
オカアサンは子種の猫。黒白のブチ猫。顔は細面。人間からみて美人とは思えないけれど、これが、なかなかオス猫には人気がある。ただ、子育てが下手。猫を産むが子供が育たない。育児を放棄してしまうのである。取り残された猫を見つけては、スポイドで牛乳を与えて育てる。しかし、猫は牛乳ではなかなか育たなかった。
懐かなかった猫で、エサをやるときはくるが、それ以外は絶対人に近寄らない。
そんなオカアサンを避妊する時は、捕まえるのに手を血だらけにして病院に行ったのだった。

              ◇フジ(♂)
オカアサンの子供。キジトラブチ猫。弱い猫で、外にはでず、オスなのに縄張りなど考えずおとなしい猫だった。オカアサンの子供は病気がちで、いつも鼻をたらし、目やにがあるものが多い。オカアサンは同族で交尾しているためだろうか。

             ◇ムー(♂)
オカアサンの子供。病がちな猫。黒白のブチ猫。彼はいつも鼻をたらしている。
この猫可哀そうな猫で、片目が目ヤニでいっぱいなったとき、うちの父が亡くなった。ムーに構ってやれず。気がついたときには目が張り出して、病院に連れて行った時には手遅れで失明してしまった。病がちな猫で、外に出ることも少なかった。

◇テン(♀)とメメ(♀)
フジの半年後に生まれた三毛猫2匹。オカアサンの子供。この猫も育児放棄であったが、牛乳をスポイドで与えて育った猫である。テンは動物のテンによくにた猫で、目が愛くるしかっ〜った。テンは生まれてから1年半後いなくなった。
メメはとても人懐っこい猫。寝るとき、部屋にいれてくれと部屋の前で泣く。ただ、ちょっとB型入っているような。我が道進めという感がある。


●それから
病がちなムーは2年生きた。あまり外に出ることもなっかった猫で、静かに息を引き取った。
フジは3年半生きた。臆病な猫だったけど、最期はコタツの中で息を引き取った。
メメは、病気になって入院を繰り返した。入院を機に姉夫婦が引き取ることになった。1度、我が家に引き取ろうと連れて帰ってもみたが、数ヶ月顔をみないと飼い主は忘れられているようである。

●オカアサンとブー。
結局、オカアサンとブーの2匹だけになった。しかも2匹とも半野良で、エサを食うとき以外、うちにいない。猫を飼っているという感覚は薄すかった。

オカアサンは、避妊してからというもの、よそのオス猫に迫られることもなくなった。朝、家の東にある薫物置き場に行くと、いつもそこで日向簿っこをしている。子供を産めなくなって人生のはりがなくなったのか。ただただ、ボーっと。のんびりと寝ている。

ブーは、相変わらずメスを追い掛け回している。結構家から遠いところでブーを見かけたりもした。ただ、弱いので、いつも傷を作って、うちに帰ってくる。そのたびに病院へ。

ブーとオカアサンはペアで寝ていたこともあったっけ。

屋根の上に何か?。ブーだった。

随分慣れてしまったオカアサン。ニャーん。


2007年、夏。


暑い夏、2007年の夏。とても暑い夏だった。
2匹の猫が死んだ。
オカアサンは、縁側の前で倒れていた。もう死んでだいぶたっているのか固くなっていた。
それから1週間後、ブーが死んだ。同じように縁側の前で倒れていた。こちらも死んで固くなっていた。
死ぬときは姿を人間にみせないのが、猫の性質だろうが、どちらもこのような形で死んでしまったのは、彼ららしい死に方である。そのどんくささが、とても愛くるしかった。
幸せだったんだろうか、彼らは。。。

うちに猫がいなくなった。31年間の歴史が終わったのである。

あまったキャットフード・猫の皿、猫のシャンプー(そういえば血だらけになってあらったなぁ)、猫じゃらし・・・とか猫用品は、姉夫婦が引き取って行った。



今はもう、街中に住んじゃって、今のところ、猫は未定。
だから、島猫なのかもしれない。



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